JAH SHAKA

イギリスのサウンドシステムシーンにおける、謎めいた個性的な人物Jah Shaka(本名不明)は、8才の時両親と共にJamaicaからイギリスのサウスイーストロンドンにやってきた。音楽に対する情熱ゆえ彼は1960年代すぎ辺りから、そこらへんのローカルサウンドシステム”Freddie Cloudburst”で音楽活動をするようになった。ラスタやアメリカの公民権運動などのスピリチュアルなことに影響を受けていた。また彼は音楽のためにサウンドシステム を自分で組み立てはじめた。そのシステムは後に、18世紀の偉大な王 “Zulu King Shaka”にちなんで”Black Napoleon”と名付けられた。

70年代の初頭から始めたシャカのサウンドシステムは、70年代の終盤にはLloyd Coxsone, Might Fatmanらと共にイギリスで3本の指に入るほどのトップサウンドとなっていた。それらのサウンドはみなヘビーウェイトでダブワイズでステッパーなダブプレートをカットしていた。
当時のサウンドのセレクターやDJたちはだいたいチームのサポートを受け活動していたが、シャカの場合これらは全て自分一人で行い、それにシャカの音楽が人生の全てとなっているような若者が献身的にシャカのサポートを行っていた。

シャカのダンスは、スピリチュアルでアクロバティックでスタイリッシュな聴衆の間で有名になって行った。
シャカはインストのような音楽を、耳が割れんばかりに歪ませ、サイレンとシンドラムを加えたりして操った。そして彼自身もひたすら聴衆と共に踊り歌っていた。

1980年、シャカは自身のレーベル”Jah Shaka King Of The Zulu Tribe”を”African Princess / Jah Children”のリリースをきっかけにスタートし、この曲はレゲエマーケットで大ヒットを記録した。彼の長寿シリーズ”Commandments Of Dub”はこれに続いている。イギリスをベースに活動するアーティスト(Junior Brown, Sgt Pepper, Vivian Jones, Sis Nya, Twinkle Brothersなど)によるレーベルからのリリースは50以上となり、シャカ自身のリリースも十数あり、あとはジャマイカのアーティスト(Horace Andy, Icho Candy, Max Romeoら)も多数リリースしている。

80年代に入り、ラスタファリアンの関心が下火になるとシャカのダンスはますます孤立し、聴衆はより一層年配のハードコア勢となっていった。しかしながらシャカはラスタやヘビーなレゲエに執着し続けそのスタイルは揺るぎないものとして確立した。

10代後半の若いルーツレゲエファンが現れ始め、シャカ全盛期の70年代から80年代前半のリバイバルレゲエが支持され、現代のレゲエとは一線を画したアーティストやサウンドシステムが多く登場するようになった。一部の識者はこのムーブメントは一過性に過ぎないとみなしていたが、ほとんどシャカという男一人の手による”新しいDUB”は数年に渡り多くのミュージシャン、レーベル、スタジオ、サウンドシステム 、クラブ、ラジオ番組を通して維持され続けている。

参考文献:THE GUINNESS WHO’S WHO OF REGGAE